2007年6月15日(金)
今からもう十年ほど前。というか、あれからもう十年近く経過しているため、月日の経つことの早さを実感しております。
その十年ほど前、はじめて某雑誌のお仕事をさせていただけることになり、某企業さんを訪問しました。そこでそのご担当者さんと打ち合わせをさせていただいたのですが、そのご担当者さんは「お待ちしておりましたわ。」とおっしゃったではありませんか。
自分はその「お待ちしておりましたわ。」という言葉遣いに思いきりカルチャーショックを受けてしまいました。そして丁寧な言葉が、きれいなものなんだとはじめて思ったのであります。
なんでもそのご担当者さんは四年制大学を卒業後、東京の某有名雑誌の編集部に十余年勤務をしていらっしゃったとか。なんて立派な経歴と自分は思ったのですが、そのご担当者さんはそれだけではありません。言葉遣いや仕草なども含めて、今まで自分が生きてきた世界と全く異なっていたのです。そのご担当者さんから育ちの良さを感じました。
自分なんて東京の二年制のデザイン専門学校に進学するためのお金がなくて、自分で新聞配達をして学費と生活費を稼いでおりましたし、専門学校卒業後も大企業なんて縁は無し。都会の厳しい競争社会についてゆくことができなくて、すごすごと田舎に戻ってきた軟弱者。田舎に帰ってきたところで自分の希望する職種の就職先はありません。泣く泣く零細企業の看板屋さんに就職をしたのです。
看板屋さんではドタバタ走ったり、重たいものを持ったり、埃やペンキにまみれたり、屋根の上で作業をしたり、どちらかというと肉体労働。周りはオッさんたちだけ。女だからという理由でナメられてたまるか!と孤軍奮闘する毎日。要するに自分はガサツに荒っぽく出来上がっています。
例えば、そのご担当者さんが手塩にかけて育てられたお花だったら、自分は勝手に育ったどこにでもある雑草。雑草だから花は無い。だから花が咲くことが当然あるはずも無い。花を咲かせることなんてはじめからできないのだ。
お花と雑草では、見た目の美しさも内面からにじみ出るものも何もかもが全くちがいます。大きな「差」がありました。それは壁と言ってもいいかもしれません。もともとの素材によるところもあるとは思いますが、人間は与えられた環境によって随分と「差」の出るものなんだと思わずにはいられませんでした。
と、まあ、とにかくご担当者さんの丁寧な言葉遣いに自分は驚いたのであります。そして、その某雑誌のお仕事をするにあたって言葉遣いの注意もしなければいけないと思い知ったのでありました。しかし、自分は丁寧な言葉を知りません。零細企業の看板屋さんでの自分は単なる雇われ作業要員で、ビジネスというものとは少しちがっていたと思います。ビジネス社会の基本もわかっていませんでした。
ビジネス本を購入し、いくつかの接遇用語を覚えようとしましたが、なかなか身に付かない。もともと話し下手な自分に自分にとって、特に接遇用語はいざというとき思い出すことができずに使えなかったことが何度あったことでしょう。丁寧な言葉遣いの前に、会話をすることの難しさをこれでもかと思い知ったのであります。
自分は会話をするということを難しく考えているわけではありません。むしろ何も考えていないかもしれない。だけど、咄嗟に声にならないことが多かったり、言おうとしても言葉遣いが気になってしまうこともある。ときにはちんぷんかんぷんなことを言ってしまうことが無きにしもあらず。
月日は流れ、仕事であたりまえのようにメールを利用するようになりました。自分の場合は会話をすることが減り、その分メールは増えました。メールの場合は考える余裕があります。考える余裕があるぶんだけ、会話よりもラクかもしれないと自分は思います。それからブログを書くようになりました。
メールもブログも自分はなるべく丁寧な言葉を使うようと思っています。だけど、どうでしょう。無理をして丁寧に書こうとすることで、言い回しなどおかしくなっていることが多々あるのではないでしょうか。
もともとガサツな自分に丁寧な言葉は似合わないのかもしれません。所詮自分は雑草だから、ガサツなほうがしっくりすると思います。無理に丁寧な言葉を使って文章がおかしくなってしまうより、ガサツで荒っぽくても素直に伝わる文章のほうがいいかもしれない。
飾ったり見栄を張るのではなく、まっすぐ思い込んだら試練の道を。そして、じんわりと染み込むように書くことが自分にとっては大切なことかもしれないと思う今日この頃でありました。
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