2005年8月20日(土)
数年前に某雑誌のライターをしていたときの取材ノートが何冊かあります。そのときのことをいつか何らかの形で書こうと思っていたのですが、あれから数年経過しました。情報としてはもう古いものとなっています。
書くつもりでとっておいても、時期を逃さずに書かなければ意味がないかもしれません。それに雑誌の記事の取材ですから、それほど踏み込んだお話ではなく、かなり表面的なことしかお話を伺えませんでした。
そのときに取材したことは、後々の保存と検索の利便さを考慮してすべてMacに入力済み。だから現場で書き込んだ取材ノートは必要がないのですが、それを捨てることができない自分であります。
急いでメモを取るため走り書きがほとんどで当然文字は汚いし、ひどいものは読めません。だけど、その走り書きした文字などを見ると、あのときはああだった、こんなことがあった、などと取材をしていたときの状況をいろいろと思い出すのでした。自分の能力不足ばかりを思い出して、恥ずかしくなったり情けなくなりますが、能力不足なりに真剣に取り組んでいたと思います。
取材中はいろいろと大変なこともありましたし、たくさんの失敗もありましたが、それらが確実に自分の身になる仕事でした。あの仕事があったから今の仕事もできる。自分を成長させてくれた仕事です。
レベルの高い仕事ではなかったからかもしれません。「そんな仕事」と馬鹿にされることもありました。だけど、自分を馬鹿にしたその人から、自分はその仕事を取ったのです。あのときは気持ち良かった〜。その人から負け惜しみを聞いたとき、自分は口には出しませんでしたが「勝った!」と思いました。
どんな仕事だってそれなりに大変なことはあります。だからどのような仕事でも馬鹿にすることはできないと自分は思います。
そりゃ、大手有名企業の仕事に携わることができれば実績にもさぞかし箔が付くことでしょう。自身の自信になりますし周囲からの信頼を得やすくなる。だけど、自分の器が小さい場合は自分の器に合った出会いしかありません。高望みをしても仕方がない。
自分の器が小さくても仕事のレベルが低くても、それを卑下する必要はないと思います。諦めているわけでも開き直っているわけでもありません。ただ自覚しているだけです。その代わりに一つ一つを確実に自分のモノにすることが重要と思うのです。「塵も積もれば山となる」から、小さいことでもコツコツやっていけば、いつか大きな何かに化ける可能性も否めません。(可能性は低いので期待はしないほうが良いと思いますが、いつでも真直ぐに前を見ることができれば、それでいいのではないでしょうか。)
悔しさと、仕事の基本となる二番目に必要なものがたくさん詰まっている取材ノート。だから捨てたくても捨てられないのかもしれない。
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