2019年02月04日(月)
あらぬ疑いをかけられたとき、人はどのような反応をするのでしょう?
自分の潔白を証明するために賢く動く人がいるかもしれません。諦めて泣き寝入りをしてしまう人もいるかもしれません。あるいは全く気にしない人もいるかもしれません。
その出来事や人の性格などにより、それぞれ異なる反応をするのではないでしょうか。そして、その反応に正解はないと思うのです。
デザイン専門学校に通うために新聞奨学生として働いていた新聞販売店の所長さんに、自分は疑われたことがありました。その時の自分は誰にも相談をしませんでした。何もしなかった。何をどうしたらいいのかわからなくて、何もできなかったのです。敢えていうのなら、何を言われても反応をしない「無視」といったところでしょうか。
所長さんに何かを訴えても、自分の話に耳を傾けてくれると思えなかったのです。それに下手に何らかの反応をしたら事態を悪化させるかもしれません。むしろ何もしないことで、それ以上の悪化は避けられるかもしれないのです。ただ平然と振る舞うことも時として有効なのではないでしょうか。
疑われていると気づいても、気にするだけの気持ちの余裕が自分には全くなかったために反応ができなかった、というところもありました。それに自分に非がない場合は無視できるものかもしれません。これは人それぞれだから、無視のできない人もいると思いますけれども、自分の場合は「無視」ができましたし、それでよかったと思います。
自分は悪くない。自分にやましいことがなければ平然としていられる。だから何を言われても気にしない。
いえ、本音を言えば気になるのです。気にはなるけど、気にしない。自分の場合はくよくよと悩むことがありませんでした。自分はもともと根っこの部分が図太かったのです。何より疑われることをしていないから引け目を感じることはないと、強気でした。
自分の場合は小学生の頃に遭った虐めにより、そこは鍛えられたかもしれません。辛かった小学生時代の自分が、自分を救ってくれたのでしょう。
今、このようにして書きながら、あの頃は目を背けて気にしていないつもりだったのに、納得ができないままの感情が自分の中に残っていたことがわかりました。自分で思っていたよりも悔しいと思っていたこと、数十年経った今になってもその悔しさが消えていなかったことを、今さら自覚をした自分です。
だからと言って、今さらどうなることでもありません。それはわかりきっているのです。だから愚痴のつもりではありません。
そうではなく、あのような状況の中で我慢をした自分は、ちょっと偉かったかもしれないと思うのです。今まで誰にも話したことはなかったけれど、このお話を聴いてほしくなりました。だから書きました。
自分一人で、よく耐えた。
誰にも相談しないで、一人でがんばった。立ち向った。乗り越えた。だから、自信を持っていいのだ。いや、自信を持つべきなのだ。
お馬鹿な自分が嘘つき呼ばわりをされて悔しかった出来事が、孤軍奮闘をして立ち向かった頼もしいお話に変わりました。笑い話でもいいかもしれません。
同じ出来事でも時間の経過とともに、その表現の仕方や気持ちが変わるものらしいです。それも面白い。
新聞奨学生体験談 関連記事
●まるち話「学校に行きたいっ!」
●まるち話「「1%」を乗り越える」
●信頼を得ることよりも疑われないよう嘘にしないよう心掛ける
●嘘つき呼ばわりされた新聞奨学生が孤軍奮闘し立ち向かう話
●馬鹿は最強で幸せなこともある、疑われた前向き新聞奨学生
●奨学金を返済免除の新聞奨学生をしてデザイン専門学校に通う
20160925-5505 コスモス 越後丘陵公園
20160925-5550 越後丘陵公園
20160925-5520 越後丘陵公園
こちらの写真を「写真素材」として提供しています。写真素材の案内とお申込みの詳細はこちら »
--------- 広告はじめ ---------
--------- 広告終わり ---------