2019年04月20日(土)
「笑って」と言われて、咄嗟に笑うことができるのでしょうか?
「こっち見て、笑って。」などと声をかけて、写真を撮る人を見かけます。特に親子。
親御さんがお子さんに向かって笑うように言い、子供はそれに応えて笑顔を作り、更にピースをしてポーズまでとってくれるという光景にお目にかかることは、珍しくないのではないでしょうか。
なんて微笑ましい光景なのでしょう。それは普通といっていいのかもしれません。しかし、自分はその光景に違和感があるのです。
可笑しくないのに、どうして笑うことができるのだろう?
可笑しくないのに、どうして笑わなければいけないのだろう?
可笑しくないのに、笑ってと言われてもどうやって笑えばいいかわからない。
と、そのように思わずにいられません。自分はカメラを向けられても笑うことはできないのです。
しかし、世間の皆様は、「笑って」と言われて、普通に笑うことができるみたいです。咄嗟に表情を作ることができるという意味ではすごいと思います。
けれど、それが愛想笑いのように思えてしまう自分。そのように思う自分がひねくれていて間違えているのかもしれません。でも、どうしても違和感が拭えないのです。
怒った顔やしかめっ面よりも、笑った顔を人は好むのかもしれません。それはわからないわけじゃない。だけど、「笑って」と言って、笑ってもらうものではないと思うのです。
可笑しいから笑う、楽しいから笑うものではないのでしょうか?誰かに笑ってと言われて笑うことは、何かヘンだと思わずにいられません。
と、自分は子供の頃からずっとそのように思ってきました。周りの大人たちからみれば、自分は捻くれて可愛くない、わがままな子供だったのかもしれません。だけど、子供心に自分は間違えていないと思っていたため、周りの大人の言うことを気にしませんでした。
愛想笑いは相手に対して失礼だと自分は思うから、愛想笑いはしたくない。可笑しいから笑う。楽しいから笑う。あるいは嬉しいときや喜びを表現するときに笑う。それでいいと思うのです。
だから、写真撮影をするとき、表情を作ってもらうことはしません。そのままでいいのです。
20170405-0525 クリスマスローズ 越後丘陵公園
20170405-0216 越後丘陵公園
20170405-0504 キクザキイチゲ 越後丘陵公園 里山フィールドミュージアム
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