2014年03月04日(火)
学費と生活費のために、新聞配達をして東京のデザイン専門学校に通っていたころのこと。それはいわゆる新聞奨学生というものです。
それは新聞の配達のみならず、新聞購読料の集金の業務もありました。ちなみに、新聞の配達のみ、集金のみと、業務を選択することもできたようです。が、自分のときはその選択ができませんでした。配達と集金は必須業務だったのであります。
集金というのは、自分にとって一番苦手で、できれば避けて通りたいお仕事でした。でも、その業務も含まれていたため、仕方なく、毎月、新聞購読料の集金のため、配達部数分のお客様の家へお伺いしていたのであります。
自分では「嫌だ」と思っていた集金業務。けれど、その販売店で一緒に奨学生をしていた学生さんに、ある日
「いつも張り切って集金にでかけるよね。」
と、言われてしまったではありませんか。
えっ?
張り切っている?
そんなふうに見えたのだろうか???
とっても意外なのですけれども。
嫌だけど、だから逆に、「よっしゃーっ!」と、気合いを入れなければ、できなかったのです。「よっしゃーっ!」と思ってただけで、それを口に出したことはありませんでしたが、周りはたまたま肯定的に受け止めてくれたのでしょう。いい人たちで良かった。
でも、嫌だと思いながらも、一件一件回って直接お客様とお会いすることで、だんだん楽しくなっていくところはありました。じゃらじゃらと集めた分だけのお金も貯まって、集金バッグが重くなっていく楽しみ。逆に集金を済ませたぶんだけ領収証が減って行く過程も楽しかった。
集金前はなんとなく重たい空気が販売店の中を漂っていても、集金に回ってお店に戻って来てからは、機嫌がよくなっていたのではないでしょうか。それは自分に限らず、他の学生さんも同じだったのでは?と思います。少なくとも重い空気ではなくなっておりましたから。
配達先のお客様になかなか会えないなど、集金は自分の思うようにできないこともあります。でも、同じ時間に毎日行くとか、時間を変えて毎日行ってみるとか、集金ができるまで何度も足を運びました。
朝、午前7時半頃に出向いて、眠っていたお客様を起こして集金をしたことが自分はあります。さすがにそこは申しわけないとは思いました。でも、自分の仕事に対しての対価はいただかなければという気持ちが強く、集金をすることに罪悪感は全くなかったのであります。だから迷いはありませんでした。
それに無理かもしれないと思っていた集金が、自分はできました。新聞販売店の中で、配達する新聞の部数が少なかったという運の良さもありましたが、自分が一番早く集金を終わらせました。
他の学生従業員の集金率が90〜95%ほどなのに、自分だけが97〜100%の集金率だったのです。同期も年上の男子学生を差し置いて、集金に関しては、その販売店の中で一番の自分でした。(但し、配達部数が一番少なかったため、それが普通だと思います。)
18〜20歳のあの頃の自分の気持ちは本当に強かったと思います。ぴちぴちでした。頼もしいとでもいうのでしょうか。
そして、お客様と直接会って、お金をいただく「集金」の楽しさ。自分で稼いだお金で、欲しかったものを手に入れる喜び。そしてそれを使う楽しみを知りました。お金と仕事と、それから人と、自分が楽しく頼もしく付き合えていた時期だったと思わずにいられません。
その反面、学業のデザインのお勉強が疎かになってしまいました。そこは今でも後悔の念が消えません。学業と仕事の両立は大変だと思います。
だけど、子どもを産んで育てながらお仕事をされていらっしゃる世の女性たちは、とてつもなくすごいことをしていると思ったのでした。
そして、続編「お金と仕事 Macに出合い得たもの失くしたもの」へと続きます。
20190514-1822 みつけイングリッシュガーデン 花
20190514-1703 みつけイングリッシュガーデン 花
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