2024年・令和六年 4月23日(火曜日)
自分の何気ない言葉に対しての他人の反応は人それぞれ。だから、どのような反応をされてもいいと思っています。思ってはいても、否定的と思われる反応をされてしまうと、ちょっとめげてしまいます。だけど、それは自分も他人もお互い様なところがあると思うので仕方がないと、割り切るようにしていました。
だけど、毎回のように自分に対して否定的と思われる言動をされてしまったら、自分は嫌われているのかもしれないと思ってしまうのです。嫌われていたとしても仕方がありません。
ただ、そこから悪化しないように気をつけようと思ってました。悪化してドロドロ泥沼化してしまったら、かなりヤバい。それは避けたかった。
以前、自分が何気なく言った言葉に対して、いきなりキレた人がいました。そのキレた人に対して、自分が何かを言ったわけではありません。自分はこうだけど、どう思う?みたいなことを言ったのです。
自分はそんなに悪いことを言った自覚はありません。自分に自覚がないところに問題があったのかもしれませんけれど、でも、キレた理由が全くわからなかったのです。
そのようなことが何度かあったため、その人に対して自分が何かを話すときの話題はとても慎重になりました。こんなことを言ったらキレるかもしれないから止めておこうとか、当たり障りのない話題、その人が好みそうな話題にするように心がけました。そのおかげでしょうか、突然キレられることが少なくなったように自分は思います。
だけど、その人が好みそうな話題が、自分は得意ではなかったのです。むしろ苦手な話題でした。だから、その人と話すときは、どちらかというと疲れてしまっていたのです。自分は少しずつ話さなくなり、聞き役でいることが多くなりました。
決して悪い人ではありません。どちらかというと優秀な人です。その優秀なところに自分がついていけなかったところもあります。単に自分が無能ということだったのかもしれません。
だけど、一緒にいて楽しくなかった。楽しくないと思う自分がいけないと思っていました。楽しくないと思ってしまう自分に何かの問題があるのかもしれないと思っていました。自分が間違えていると思いました。
でも、楽しくないと思ったこと、自分が間違えていると思うことも、何か違うような気がしてきたのです。
楽しくないものは楽しくない。相手の機嫌を損ねないように、相手の顔色を伺って、自分が我慢をしているのです。自分の気持ちよりも、相手の機嫌を損ねないことを優先しました。自分の気持ちを無視してたのです。
ただ、怒らせないように、相手の機嫌を損ねないことを考えました。それは相手を思いやったり、相手の気持ちを考えているわけではありません。自分が被害を受けないための防御です。
そうなると、その人と本音で語り合うことができなくなります。表面的な話題でやり過ごすだけになってしまいます。そして、その人を理解するどころか、自分にとっては、「わからない人」となるのでした。
だけど、わからない人になってしまう前に、「どうしてキレるのだろう?」と、相手のキレる理由を考えてみればよかったのかもしれません。キレる理由がわかれば、違う反応ができたかもしれません。しかし、我慢をすることに精一杯で、相手の気持ちを考えてみることが自分にはできませんでした。
他人の気持ちはわかりません。他人の反応に困惑することはよくあります。だけど、相手の機嫌を損なわないように気をつけていきたいと思います。それは自分が我慢をするということではなく、仲良くできる人がいてくれるほうが良いからです。
20170428-2783 チューリップ 越後丘陵公園
20170428-2649 チューリップ 越後丘陵公園
20161027-6660 バラ 越後丘陵公園
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