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きれいでぴかぴかしたもの 最初の二ページを読んで読書感想文を書いた自分にとって輝いてるもの

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きれいでぴかぴかしたもの

2009年10月14日(水)

あれはたしか自分が小学一年生か二年生のとき。小学校の国語の授業での読書感想文。

そのとき自分が読もうとした本は、なぜかつまらなくて、最初の二ページ目くらいで読むのを止めてしまいました。たしか、女の子が川で砂金を見つけたところからお話がはじまり、砂金でお金持ちになるとかならないとか、最後まで読んでいない本なので内容は不明。しかし、それでもその本の感想文を四百字詰め原稿用紙一枚になんとか書いたのでした。

それは担任の先生(女性)に何かがバレてしまったのでしょうか、後になって「お金持ちになってどうしたいの?何が欲しいの?」と質問をされてしまったではありませんか。

そこで自分は「きれいでぴかぴかしたものがほしいです」と、そのような返事をしてしまったのです。

そうしましたら、今度は先生がお目々をどことなくキラキラさせながら、「きれいでぴかぴかしたものって、宝石とか?」と、子どもの自分に質問をしてきました。

しかし、そこで返答に困った自分。だって、「きれいでぴかぴかしたもの」が、宝石というつもりではなかったからです。漠然としていて、自分でもよくわかっていなかったのでありました。ただ、きれいでぴかぴかしたもの。それだけなのです。

それから数十年の時が流れ、自分は、たぶんその当時の担任の先生と同じくらいの年齢になったのではないでしょうか。ええ、もう、いいオバさんかと思います。ぴちぴちと若かりし頃の自分から、ますます遠ざかっていくのでありました。

と、それはさておき。そんな昔話をぼんやり誰かに話していたときのこと。その人はその「きれいでぴかぴかしたもの」を、『人の魂』とおっしゃいました。

おおおっ。それはっっっ。

ちょっとスゴいかもしれないけど、おそらく自分はそこまでのことは考えていなかったはず。ほんとにただ軽い気持ちで「きれいでぴかぴかしたもの」と答えていただけと思います。だって物事を深く考えることが今も昔も苦手ですから。ただ、ここのところ「きれいでぴかぴかしたもの」について、たまにですが、ぼーーーっと思い出す自分がいたりします。

あれは自分がぴちぴちの22歳の頃に勤めていた会社で、長野県の千曲川に行きました。そこで川に住んでいる魚や虫を捕まえるというお仕事。きれいな川でなければ生きられない虫や魚はたくさんいます。その川に住んでいる魚や虫を見ることにより、川の水がきれいか汚れているのか、水質を調査をするときの判断材料にするのでした。同じ川でも、きれいな上流と汚れがちな下流では、住む虫と魚はちがうのです。

その千曲川の上流の川の水がとってもきれいでした。水を手で掬うと、水の光の透明なフィルタがかかったみたいになって、手がきれいに見えるのです。普通にただ手を見るときより、手の指紋がよりくっきりはっきり見えました。

水がふわーーーっと、やわらかくて、水面に光があたるときらきらぴかぴか。

そう。まさしくそれは「きれいでぴかぴかしたもの」です。

それから真冬の雪。雪が降った後、カラッと晴れた朝の新雪。細かな雪の結晶が自ら光を放っているような白さ。あの白さは、光に近い白さなのではないでしょうか。あれも「きれいでぴかぴかしたもの」です。

水平線の見える晴れた日の海もきれいでぴかぴかしてます。

と、自分にとっての「きれいでぴかぴかしたもの」は自然現象によって起こるものに片寄っているかもしれません。でも、人それぞれの「きれいでぴかぴかしたもの」があっていいと思います。きっと十人十色の「きれいでぴかぴかしたもの」があることでしょう。だから具体的に何とは決められないものと思います。

自分が小学生低学年のとき、「きれいでぴかぴかしたものって何?」という先生の質問に答えられなかったのは、何も考えていなかったわけではなく、その外側を見ていたからなのかもしれません。そして、そんな昔のことを今さらのように思い出す自分。それは、自身が長いことずっと求めていたものだからだと思う今日この頃。

だって世の中は汚いものが多いでしょう。人の心はドロドロドロドロ。何がきっかけで、その後どう転ぶかなんてわかりません。

ちなみに自分の心は汚れています。加えて歪んでおります。自分の心がどこまでも果てしなく汚れているから、汚いものは飽きました。できれば見たくありません。目を反らすとか見ないようにするということではなく、自身の心を反映したかのような汚いものを見ていると気分が悪くなる。

自分が持っていないから、無い物ねだりできれいでぴかぴかしたものを切望します。きれいでぴかぴかしたものを見たいと思うのです。

そして、「きれいでぴかぴかしたもの」を思い出しました。それが具体的に何を指し示すのか、今もわかりません。だけど、わからなくていいのです。きれいでぴかぴかしたものなんて、人それぞれ感じるものもちがうから、十人十色、臨機応変、所変われば品変わる。だから何でもありなところがあってもいいのではなかろうかと思うのです。ただ、「きれいでぴかぴかしたもの」と自身で感じたものでいいのではないかと。

そこで、まずは仕事。きれいでぴかぴかした仕事をしたいと思います。それは仕事の段取りも含め、きれいにぴかぴかと作業を進めること。ぴかぴかきれいなものに仕上げ、提供をする。それで心地よくなっていただければいいなと思うのでありました。

越後丘陵公園バラ2018年六月

越後丘陵公園、朝の光を浴びているようなピンク色のバラ

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