まるち話+2003年3月9日(土)
あれは小学校三年生だったと思う。初夏のある平日の夜、親戚のおじさんが家へ来ていた。用事も済んで玄関先でおじさんを見送ったあと、真っ暗な外にしばらく出ていた。なぜか走ったそのとき、ザザザ〜ッと大の字になって転んでしまった。
いっ。。。いってえっ。。。
なんで転んでいるんだ?
・・・いってえぇぇ。。。
大の字になったまましばらく頭の中が真っ白な状態だったけど、むくりと起き上がる。かすり傷もなかったのだが、右足の甲の部分にひねったみたいな感じの妙な痛みがあった。「なんだ?この痛みは?」と自分でわけがわからなかったのだが、骨折や捻挫でないことはわかったし、少しすれば痛みも治まるだろうと思っていた。しかし、一向に痛みは治まらない。
やっべえぇ。右足がいってえ〜。
明日運動会の予行演習でリレーで走るのに。。。
げえええ。どうしよ〜。
母ちゃんに言ったら怒られるよな〜。
医者なんかいったら余計な金がかかるし。
学校を休むとうるせえし。。。
ど〜しよ〜。
と、そんなことを真剣に考えながらとぼとぼ家に入る。家族のだれもそんな自分の異変にはまったく気づかないし、気づけばうるさいだけなのでひたすら隠すようにして普段通りにしていた自分。
痛いけど、寝て明日の朝起きたころには足も治っているかもしれないし。。。
そんな期待をしつつ痛みをこらえて眠りに就く。
そして翌朝、期待は見事に裏切られ右足は痛いまま目を覚ます。。。
学校まで歩けるかな〜?走れるかな〜?
そんな不安と右足の痛みを抱えながら普段通り学校へ行く。授業中は椅子に座っているのでほとんど痛くない。問題はそのあとにある運動会の予行演習なのだ。歩くし走るから痛むだろう。
全校児童合わせて180人ほどの小さい田舎の小学校で見学などをしていると目立つのだ。「なんでアイツ見学しているんだ?嘘ついてサボっているんじゃないのか?」と同級生はもちろん他の学年の子からも白い目で見られてしまう。それもイヤだった。
家族にも学校の先生にも友達にも誰にも「右足が痛い」と言わずひたすら我慢だ。予行練習もはじまり、リレーの練習をするためにそれぞれの位置に移動する。
トラックのコースに立ち、後ろを見ながらバトンを手渡してもらい走った。ただ何も考えずに走った。右足の痛みは気にならない。そして今度は自分が次の走者にバトンを手渡す。
走り終わったあとの荒い息づかいも治まり、ふと気がつくと右足の痛みが消えていた。
あれ?・・・痛いのが消えてる。
やった〜〜〜〜〜っ!治ったぞおっ!
これで母ちゃんに怒られなくてすむぞ〜っ!
医者に行かなくていいし!
黙っててよかった〜っ!正解だよな。
いや〜、おれってすげえやっ!
わ〜〜〜っはっはっはっはっはっはっはっはっ!
と、本気でそう思った。
今だから笑い話にもできるし、自分のある意味すごさというか無謀さというか馬鹿さというかたくましさを自慢できるけれど、でも本当は少しもいいことじゃない。
子どもの体の不調を親に訴えたときに、それを親が怒るという親子関係も異常なのだが、自分の体の不調を自分で言えないのも問題だ。親も親なら子も子でそれこそどっちもどっち。
自分で何も言えないということが、のちにその本人にとってどんなマイナスな要素となるのか、本人がどれほど苦しむのか、その招く結果とは、「そして残酷人間はできあがる」のだ。