国営越後丘陵公園 ウインターイルミネーション クリスマスリース
2019年12月26日(木)まるち
自分が足を運ぶ公園では、スマートフォンや一眼レフカメラ、コンパクトカメラなどで写真撮影をしている人を見かけます。皆さん、それぞれ熱心に撮っていらっしゃるわけです。
国営越後丘陵公園 コスモス
そして、どうしてあの場所で撮るのだろう?と、そのような人のことが気になってしまう自分。
気になるので、その人が去った後に、自分もその場所に行ってみます。そして、その場所で撮っていたものを探して見つけるのですが、それを見て「なるほど」と思うことがあるのでした。(ただし、それが正解かどうかはわかりません。)
それは自分では気づかなかったもの。自分一人では気づかないことでも、他の誰かの存在で気づくこともあると思うのです。
国営越後丘陵公園 秋のバラ
その他の誰かが、自分に対して何か特別なことをしてくれるわけではありません。特別なことは何もしてくれなくていいし、それを期待するわけではありません。その人自身にとって普通の行動をしているだけでいいのです。その行動が自分とはちがうから見えてくるものがあるわけで、そこから適当に何かを気づいていくといったところでしょうか。
それは自分一人ではできないこと。自分以外の人の存在があって、はじめてできること。自分一人の限界というものを感じる瞬間かもしれません。
国営越後丘陵公園 コスモス
だから、他人を怖がっていてはいけない。何かをするわけでも、何かを期待をすることでもない。ただ他人の存在を気にかけることで見えてくるものを見て感じ取る。それもありではないでしょうか。
国営越後丘陵公園 ウインターイルミネーション
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