公園に向かう途中の道に咲いていた山藤
2019年08月10日(土)まるち
春、あるワークを体験しました。講師の方とお話をしたり、見たり、ちょっと体験をしてみたのです。
しかし、自分はその内容に全く満足できません。お客である自分の希望をほとんど無視して、その講師さんがやりたいことだけをして終了、みたいになっていたのではないでしょうか。自分の望んでいたものではなく、自分にとっては空振りで終わってしまったワークでした。
だけど、その体験が無駄だとは言いません。それにある程度は予想をしていたこと。だから、不満を持ちつつも諦めていたところもあります。仕方がないというか、空振りで納得をしてしまったかもしれません。
それはともかくとして、ワークを依頼する前に、自分はその講師さんのブログなどを見ていました。その講師さんは、自分には魅力的な人に思えたのです。実際にワークをしていただいて、その講師さんが慕われる理由が少しわかったかもしれません。
そして、ふと思いました。自分には何らかの魅力があるのだろうか?
例えば、この自分のブログを読みたくなるとか、一緒に仕事をしてみたいとか、お話をしてみたい、仕事を依頼したい、などなど何でもいいのです。何か気になってもらえるのでしょうか?
自分に何らかの魅力があるのかどうか、そこがとっても怪しい。というより、何もないかもしれません。これは問題です。と、そのことを今更のように気づいた自分です。
自分を出すことで自分を知ってもらい、自分に興味を持ってもらう。そして、自分を気に入ってもらうことができる魅力的な何かを、自身の中から見出したり、身に付けることが大事なのかもしれません。
悠久山公園 すっかり数が減ってしまった公衆電話
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