越後丘陵公園 雨上がりの朝の鮮やかに赤いばら
2019年07月05日(金)まるち
この人に、自分は必要ないと思うことがあります。
自分はその人がいいと思いました。その考え方やその人自身がその時持っているであろうものが、かっこいいというか、うらやましいというか、とにかくいいと思ったのです。
だから、その人が開催をするお茶会や講座に参加をして、その人に近づいてみました。そして、実際にお会いしてみて、それは表面的な部分だけかもしれませんが、すごい人だと思ったのです。自分は。
だけど、残念ながら、その人にとって、自分は多勢いるお客様の一人でしかありません。その人にとっての大事で特別はお客様にもなれません。その他多勢のお客様の一人でしかないのです。それはわかっているつもりでした。けれど、改めてその現実を突きつけられると、少し落ち込んでしまうではありませんか。
その人に対して自分は何かできたら良かったのですが、何かの役にも立てそうにありません。全くないわけではないのでしょうけれど、その場合は、自分の良さを生かすことができないと思うのです。それは自分でなくてもいい。他の誰でもいいようなことですから。
そうではなく、自分だから、このような形でお役に立つことができます!と言えるところをしっかり持って、近づかなければいけないのです。ただ近づくだけじゃダメ。だから、そのようなところを見つけるか、身につけるまでは近づかないほうがいいのかもしれません。。
そう決めたら、自分が何をするべきなのか、わかってきたような気がします。周りに合わせる必要もありません。自分だからできること。自分だからできたこと。自分だから見つけられたその方法。それを極めて、より明確な形にする。それが一番の近道かもしれません。
その人に相手にされなくても、自分で決めた自分の道を突き進めばいい。そんな単純なことを、ただ実行する。それでいいのです。
そして、お役に立てるかもしれない人に、自分から近づいていく。相手にされなくても仕方がない。だけど、それを積み重ねていくことで、いつか、どこかで、良い出合いに繋がるはずですから。
悠久山公園 新緑の木々と青空
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