悠久山公園 新緑の木々
2019年05月27日(月)まるち
自分で選んで、自分で決めることは、なんて楽しいなのでしょう。自分一人で判断できることは、とてもしあわせなことです。
相談というけれど、相談って何のためにするの?誰に話すの?話たらどうなるの?何かいいことでもあるのでしょうか?
相談をすると反対されるというか、自分を否定されるだけのように思えてしまいます。だから、相談はしたくないと思う自分。
反対はともかく、否定されるというのは違うかもしれません。多少の否定はあったとしても、それはほんの一部だけ。ほんの少しだけで、それ以外の全てを含めて否定をしているわけではありません。
だから、自分の受け止め方に問題があるだけかもしれません。あるいはあまりにも常識はずれでまともじゃない内容だったのかもしれません。自分がおかしいだけなのかもしれないと思います。自分、お馬鹿ですから。
自分は反対をされることが嫌なのです。理解をされなくても、共感をしてもらえなくても仕方がない。けれど、反対をされることは面白くありません。ただ、「あっ、そう。」と、聞き流すくらいでもいいのではないでしょうか。
まあ、明らかに間違えている場合は、反対というか、それは違うと指摘をしたほうがいいと思いますけれど。
誰かさんの顔色を伺って、誰かさんに遠慮しているから、迷ってしまう。自分一人で決められるなら迷うこともありません。誰かがいるから、判断ができなくなるのではないでしょうか。
そのような意味でも、お一人様は気楽でいいと思うのです。自分で決めていいのですから。お一人様は自由でいいと思わずにいられない瞬間です。
悠久山公園 八重桜
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