悠久山公園 八重桜
2019年03月19日(火)まるち
保育園に足をは運んで写真撮影をさせていただくことがあります。ご家族や保育士さんの努力の賜物なのでしょう、みんな良い子だと思う自分。
そして、子供たちが夢中になって何かをしている最中に、保育士さんが「はい、こっち向いて!笑ってー。」と、子供にカメラを向けてパシャッ!と撮るのです。子供は一瞬カメラの方を向いて、ちょっと笑ったような表情を作ります。
これは保育士さんに限ったことではありません。学校の先生や親子など、大人が子供を写真に撮るときにありがちな光景かと思います。それはたぶん普通なことなのでしょう。そこに疑問を持つことはないのかもしれません。
しかし、自分は大人が子供の写真を撮るときの行為に疑問を持たずにいられないのです。
なぜ、わざわざカメラの方を向かせなければいけないのですか?
どうして笑わなければいけないのでしょうか?
子供に愛想笑いをさせて何がいいのですか? 何とも思わないのですか?
子供のありのままの表情を撮ればいいのに、ありのままの表情がなぜいけないのですか?
と、思わずにいられない自分。
子供の笑顔を残しておきたいという気持ちは普通かもしれません。けれど、人の表情は笑顔だけではありません。笑顔が特別なわけでも笑顔だけがいいというわけじゃない。それは子供に限らず、笑顔以外の表情を含めて全部その人なのだから、それで良いと思うのです。
だけど、世間が求めているのは笑顔が多い。笑顔でなければダメ!みたいなところさえありませんか?それだけではつまらないと思うのです。
自分はありのままの人の表情がいいと思わずにいられません。笑顔でなくていい。泣いていても怒っていても驚いていてもいいのです。ぼーーーっとした表情は、なんとも言えない味があって面白いと思います。
だから、自分は写真撮影のとき声はかけません。特に何もしません。ありのままの自由な表情を撮るようにしています。そのほうが面白いですから。
写真に撮られる人も、写真を撮る自分も、お互いが自由にのびのび楽しく撮影をして、面白い写真を残しましょう。
悠久山公園 枝垂れ桜の下でお花見をする人たち
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