国営越後丘陵公園 秋のバラ
2019年12月12日(木)まるち
高校生の部活動を中心にしたお話で、その登場人物たちの練習の日々などが描かれたアニメがありました。青春の日々といったところでしょうか。
そのお話の中で、「誰よりも練習をしてきた。」というセリフがありました。
国営越後丘陵公園 秋の公園の藁のお馬さん
悪くないセリフだと思います。でも、その「誰よりも」というけれど、他の人の練習を一体どれくらい知っているのでしょう?
他の人たちより多く練習をしたと言い切れるほど、他のことを全て知っているのだろうか?という疑問を持たずにはいられません。他の人の練習量を知らないのに「誰よりも」と、なぜ言うことができるのか?と、突っ込まずにいられない自分であります。
周りと比較をして、練習量の多さを表現しなくてもいいと思うのです。例えば寝る間を惜しんでとか、休むことなく練習をした、などの表現でもいいと思うのです。(自分は、寝ない、休まないで練習をすることが良いとは思いません。あくまでも「例え」です。)
国営越後丘陵公園 秋の白いコスモス
というか、自分がお話を作るなら、登場人物に「誰よりも」というセリフは言わせません。それは「誰よりも」という表現を否定するつもりではありませんし、悪いことでもないと思います。また、時と場合によっては「誰よりも」という表現でなければいけないこともあることでしょう。
だけど、「誰よりも」と言えるだけのことを知っているのか、そこまで確信のできることなのかがわからないのに言えるセリフではないと自分は思うのです。それが、創作のお話であっても、現実の日常の中の会話でも。だから、その「誰よりも」というセリフに自分は違和感を覚えるのでした。
それに「誰よりも」という表現が悪いわけではありませんし、表現は自由、人それぞれです。何かを極めたら、自然と口から出てしてしまうのかもしれません。
しかし、そこまで夢中になって物事に励んだことのない自分にとって、使ってはいけない言葉。そこは自分の面白くないところなのでありました。
国営越後丘陵公園 真っ赤な秋のバラ
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