悠久山公園 新緑の木々
2019年07月30日(火)まるち
夢を見ました。それは小学生の頃の自分。小学校の行事で日帰りのバス旅行があり、そこでいろいろな場所を見学するのです。そして、ある程度楽しんだ後は、自分はそのバスに乗り遅れてしまうという夢。
そして、自分一人が取り残されて、「さあ、どうしよう?」というところで目が覚めるというか、夢が終わってしまいます。
このような夢、一度だけではありません。今まで何度か見ています。ただ周りにいる人や行き先がちがうため、毎回同じ内容というわけではありません。ただ、それなりの人数でどこかに行って、最後は自分がバスに乗れなくて置いていかれるところは、毎回同じなのです。これは一体何を表している夢なのでしょうか。
まあ、夢占いみたいなもので何らかの意味というか、理由みたいなことがわかるのかもしれません。そこに興味がないわけではありませんけれど、自分としては、夢が途中で終わってしまうことが気になるのでした。
置いていかれて、一人ぼっちになって自分はどうするのか。ちゃんと家に帰ることができるのか?
そこを知りたいのにその手前で終わってしまう。それがいつも残念。その中途半端なところが面白くない。おかげでもやもやした気分で目覚めるのでした。
けれど、それは中途半端な今の自分に当てはまるのかもしれません。自分が中途半端だから、夢も終わりまで見ることができないとか。最後まできちんと成し遂げることができたら、夢の終わりまで見ることができるのかもしれません。
というか、夢の終わりは「死」かもしれませんが、それもアリです。そうなったら仕方がないこと。死んでいないから中途半端なところで終わっているのでしょうか。
それとも、一人になった自分は、一人では何もできないから先に進めないとか?もしそうなら、それは最悪な自分です。そんな自分は嫌だ。
あるいは夢だから何でもありなわけですし、終わりはないのかもしれません。
だけど、また同じような夢をみることがあったら、今度は一人残された自分がどうするのか?その続きを見たいと思うのでした。
悠久山公園 公園に咲いていた花
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