悠久山公園 八重桜としだれ桜が池に映る
2019年06月01日(土)まるち
先日、図書館から借りてきた本の中に
「考えているわけではなく、反応をしているだけ」
という文章がありました。
そういうことかと納得をしてしまった自分。というのも、自分はいつも考えていませんでした。考えていたわけではなく、ただ反応をしていただけ。それでも反応はできていたわけです。
だけど、肝心の考えることができていないことを改めて思い知りました。そう。考えていなかったのです。
自分の頭で考えることは大事なことですし、自分の頭で考えるから面白くて楽しいと思うのです。自分で考えていないから、面白くないし、それはつまらない。
なんで面白くないのだろう?と思うことがある自分ですが、それは自分の頭で考えていなかったから。そんな単純な理由でした。
と、わかったところで、考えようと思うのです。しかし、今までまともに考えることができていなかった自分にとって、考えるということが難しいというか、うまくできないではありませんか。
というか、考えるってどういうこと?
頭が回転をするのではなく、頭の回転が止まってしまって、自分の頭の中は真っ白です。
考えることは大事なこと。子供のうちから考えるクセをつけることは大事なのかもしれません。自分は何も考えていない子供でしたから、なおさらそう思うのでありました。
言い方が相応しくないかもしれませんが、自分の頭で考えることができない場合は損をすると思うのです。損というか、馬鹿を見るというか、呆れることがほとんどというか、失敗ばかりするというか、自分一人では何もできないとか、極端なことを言えば自分がかわいそうというか、不幸なことではないでしょうか。
しあわせになりたければ、自分の頭で考えて、そのために自ら動いて手に入れることが、何より重要かもしれません。
と、書きながら、少し落ち込んでしまった自分。自分はお馬鹿ですが、不幸なわけではありません。だけど、これは考えていることになるのだろうか?という素朴な疑問が湧いてきました。考えることがどういうことかわからない自分は、そのような単純なことで躓くのでした。
しあわせを手に入れるためにも、とにかく、「考えること」を身につけるようにしましょう。
悠久山公園 八重桜
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