見知らぬ人の何気ない会話から適当に受け取ってみる
2017年06月01日(木)更新
晴れて青空の広がる公園でこのバラの写真を撮っていたとき、耳に入ってきた会話でした。
「ばらまつり」のイベントを開催している公園で、バラの写真を撮っていたときのこと。
写真を撮る自分の近くで、ご婦人のお友達同士なのでしょうか、数人で楽しそうにおしゃべりをしながら、バラを愛でていらっしゃいました。
その時の会話で「このくらいのバラが一番きれいよね。」と、自分の耳に入ってきたのです。そのときは、その声のするほうをちらっと見る程度にしておきました。
そして、ご婦人の皆様が去った後、きれいとおっしゃっていたバラを確認するため、さささっ!と移動を開始する自分。
見たら傷みもなく、ほどよい咲きかたで、ほんときれいな形をしていたではありませんか。
なるほどー。見知らぬ人の何気ない会話の中に、自分にとっての有益な話が含まれていることもあるのです。
見知らぬ他人だからどうでもいいというか、関係がないというか、聞く耳を持つことはないかもしれません。しかし、頭っから受け入れないという心構えでは、ちょっともったいないところもあるかもしれません。
気負わず、気楽に受け入れることのできる柔軟性というか優柔不断さというか適当さがあってもいいと思うのです。
頭の中はふにゃふにゃに。適当でいいのだ。