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学校に行きたいっ! 東京のデザイン専門学校に行くための方法、新聞奨学生になることを自分で決めた

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学校に行きたいっ!

まるち話+2003年3月7日(木)

2002年は高校生の求人倍率が過去最悪らしい。ある日たまたま見ていたワイドショーでそう言っていた。

ある女子高生がデザインの専門学校に行きたいけれど家に余裕がなく、それで印刷会社に就職を希望したが企業の求人もなく、企業からの求人が出るのを待っていた。

それなら働いて学校に行けばいいのにと思った。まあ、専門学校に行ったからといって就職が約束されるわけではないけれど、働いて専門学校に通った身としては、なぜそうしないのか疑問に思うのだ。

大学でも専門学校でも進学したいけどお金がないから就職を選ぶ高校生はたまにいる。学校に行きたいのだったら自分で働いて行けよ。そういう選択だってあるはずだ。学校に行きたいと思う本人もその親も学校の先生も、どうやらそういう発想を持っていないらしい。ひと昔前は珍しいことではなかったはずなのに。そういう世の中ということだろうか。

小学校高学年や中学生になれば自分の家の経済状況はぼんやりとわかってくると思う。本当は高校に行かず働くことも考えたのだけれど、自分のためというより世間体のためと親を安心させるために高校は卒業しておきたかった。だから高校までは親の世話になって、それ以降は自分でなんとかしようと中学生のときに決めたのだ。

そして高校三年生の夏、進路を決めるとき迷いはあったのだが「働いて学校に行きたい」と進路指導の先生に話したら「働いて学校に行く子は、疲れるからみんなすぐ学校も仕事も辞める。」と言うのだった。

なんだ、それは。

働いてでも学校に行きたいという生徒の事情や気持ちをまったく無視し、頭から無理と決めつける先生にただ絶望した。結局は先生も事務的に仕事をこなすだけなんだと改めて痛感。所詮は公務員。ドラマの金八先生みたいな先生はいないんだよ。そこで何かを期待しまった自分が一番バカだと思うけど、もうそこで先生に話す気もなくなったし話すことにめげてしまった。

生徒の気持ちのわからん大人にエラそうなことを言われてもおもしろくないから、とりあえず「専門学校に進学します。」と担任の先生に必要書類と推薦状をお願いしてあとは自分で手続きをした。しばらくして専門学校の入学許可証が届いたが、自分には重要な問題が残っている。東京での生活費をどうするかだ。親に頼む気もない。高校まで面倒をみてもらえればそれで十分だ。だからあとはもう自分で稼ぐしかないのだけどどうしたらいいのだろう? 困ったな〜。

新聞を読んでいると「新聞奨学生募集」の広告が目についた。早速資料を取り寄せてみる。取り寄せた資料には地元で行われる説明会の案内があった。よくわからないけどとりあえず行ってみよう。

当日その会場には同じ年頃の男の子ばかりで女の子は私一人だった。なかには親といっしょに来ている人もいた。説明を聞きながら学業との両立、自分に新聞配達なんてできるだろうか?などなどいろんな不安が押し寄せてくる。だけど、学校に行くためには仕事なんて選んでいられない。わがままを言えるわけがない。そこでやっと覚悟を決めた。

親に話して必要な書類に印鑑を押してもらい、親戚のおじさんの断りもなく勝手に保証人の欄に名前を書いて書類を郵送。親や兄姉に「おまえにできるのか?」と当然聞かれた。

 んなもん、やってみなければ、わかんね〜よっ!

覚悟を決めた本人が一番不安なんだ。だからってまだ何もやっていないうちから決めつけることはね〜だろ!とにかく東京に行きたいんだっ!学校に行きたいんだよっ!

 ほんとにその気持ちだけが自分の原動力だったな。

新聞奨学生として専門学校に通う手続きをしている間も、それを決めたことも一切学校には話していない。自分が覚悟して決めたことについて学校側に何か言われたくなかっし面倒なことは避けたかったから。

 そして、上京。

専門学校の二年間はほんとにいろなことがあった。学業と仕事の両立は想像以上にキツかったし、疲れて体がボロボロで途中死ぬかと思うことが何度もあって、常にギリギリの状態だった。授業中居眠りしていることも多く、先生にはよく眠るなと呆れられていた。それでもなぜか充実していて苦しくて辛いけどでも楽しい。そんな感覚。ボロボロの二年間をなんとか乗り切ったことで、人間は意外とがんばれるものなんだと思った。どんなときでもなんとかなるさ。

会社で残業が何日も続いたり肉体的にキツいようなときでも「鍛え方がちがいます!」と自分にとってはあたりまえの強気な発言が出てくる。おぼっちゃま、お嬢さまと同じ扱いにされたくないというプライドがある反面、しかし、そのプライドを裏返せば貧乏人のコンプレックスの塊だったりするのが自分で情けないと思う。

自分がある程度の年齢になったら自分の道は自分で切り開いていかなければいけない。男も女も関係ない。親には親の人生、人には人の人生があるのだから子供といえども邪魔をしちゃいけないと思う。

お金がないから進学をあきらめて就職するのは立派だし、それもひとつの方法。でも方法はひとつだけじゃない。多少遠回りでもあきらめずに自分の道を突き進んでいく力を身につけてゆくほうが断然おもしろいと思うけどな。

越後丘陵公園バラ2018年六月

花びらの形がきれいな淡いピンク色のバラ

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